1992-04-16 第123回国会 参議院 外務委員会 第5号
そして、日本は今の森下政務次官の確認どおり、重光さんはそのとき四島という考えを持って交渉に臨まれた、ソ連に行かれた。ソ連は二島ということを譲らない。ここではっきり二島対四島という主張がぶつかり合った。 そこで、重光外務大臣の当時のことを思い出すと、重光さんはソ連で、モスクワで、もう二島返還で妥結しようということを考えられた瞬間があるように思います。
そして、日本は今の森下政務次官の確認どおり、重光さんはそのとき四島という考えを持って交渉に臨まれた、ソ連に行かれた。ソ連は二島ということを譲らない。ここではっきり二島対四島という主張がぶつかり合った。 そこで、重光外務大臣の当時のことを思い出すと、重光さんはソ連で、モスクワで、もう二島返還で妥結しようということを考えられた瞬間があるように思います。
他方、先ほど申し上げましたように、サンフランシスコ平和条約成立直後にいろいろな考え方があったということも踏まえまして、昭和三十一年ですから一九五六年の二月十一日でございますが、これもう先生御承知のとおり、衆議院の外務委員会におきまして当時の森下政務次官が一つの統一見解というものを出されまして、ここで明確に、我が国が返還を求める領土というのは北方四島であるということを明らかにされたわけでございます。
また、これも若干繰り返しになりますけれども、一九五六年の時点で先ほどちょっと触れました森下政務次官答弁という形で統一見解が示されまして、その後一貫して我が国としては四島返還ということで交渉をしているわけでございます。
いずれにいたしましてもその後主要連合国であり、またこの条約の主たる起草者でもあるアメリカは国後、択捉両島が日本の領土であるとの見解を再三表明しておりまして、政府も平和条約調印直後に表明された当時の見解の中に不明確なものがあったということを踏まえまして、これを明確にするため昭和三十一年、一九五六年でございますが二月の衆議院の外務委員会において、平和条約により我が国が放棄した千島列島の範囲についての政府の統一見解、いわゆる森下政務次官答弁
その解釈を変えたものではないという点につきましては、先ほど来欧亜局長も述べておりますが、先ほど問題になりました昭和三十一年の森下政務次官の統一見解でも、冒頭において、一応それではいまの南千島の問題のそういう誤解を解くために、ここにはっきりと一つの声明をいたしますと、あくまでもその誤解を解く、要するに解釈上の不明確さがあるのを誤解されないように明らかにすると、こういう趣旨でございます。
このような答弁が行われました後に、多少の時日を経過いたしましてから、昭和三十一年二月十一日の衆議院外務委員会におきまして、政府の統一見解が公式に表明されたわけでございまして、ただいま申しました外務委員会で森下政務次官が「ここにはっきりと一つ声明をいたします。」
これに関しましてその後政府の方で統一見解をまとめまして、昭和三十一年二月十一日の衆議院外務委員会におきまして森下政務次官がこの西村条約局長の答弁を修正されて政府統一見解を述べられたわけでございまして、この中で「国後、択捉の両島は常に日本の領土であったもので、この点についてかつていささかも疑念を差しはさまれたことがなく、返還は当然である」このように述べられております。
それから、ただいまおっしゃいました西村条約局長の答弁につきまして、南千島、北千島とはどういうことか、こういう御質問がございましたが、私どもは、この南千島、北千島という概念は、法的な概念として使ってはおらない、こういう見解でございまして、西村条約局長の答弁に対しましては、その後森下政務次官が統一見解を出しておられまして、ただいま私が述べましたような日本政府の見解をその後統一見解として確認しておられますので
森下政務次官ですか、おっしゃったのは、いつ、どの場でその見解を示されたのか。
○宮澤政府委員 昭和三十一年二月十一日の衆議院外務委員会におきまして、森下政務次官が政府の公式見解としてこれを明らかにしております。
○政府委員(宮澤泰君) 私どもは、日本が桑港条約で放棄いたしましたのは千島列島、すなわち英語で申すクーリール群島ということで、その範囲は、ただいま私が申し上げました森下政務次官の統一見解そのものと解しております。
森下政務次官きょう御出席でございますので、いま申しましたような実態からいたしまして、これはひとつ率直にお答えいただきたいと思いますけれども、私は、きわめて好ましくない。少なくとも電力会社は公益性が非常に高い、公益事業である。
○石田(幸)委員 それでは、森下政務次官にお伺いをいたしますが、このプロパンガスの値上げに至りました経過、一つは、値上げをせざるを得ないという、一つの原料の値上げという問題もございますでしょう。
ああいう社内報――これは森下政務次官もゆゆしい事態だ、資料を取り寄せて検討したい、こういう答弁もありましたけれども、これの融資の規制については、通産省の調査を待った上で判断したいというのが大蔵政務次官の答弁であります。そこでこれについてすみやかにメスを入れたいと森下政務次官はお答えになったわけですけれども、この実態についてどのような検討を進められたのか、その結果をひとつここで報告していただきます。
こういうようなのを見てまいりますと、いま森下政務次官がおっしゃっていましたが、どれが一体よりどころになっているんだ、どれだけの電源を開発したらいいのか、そのこと自体の基礎的な数字も持たないじゃないか。そうしておいて税金は取ります、それは設備ができるまではいつまでも取り立てていきますというのでは、苛斂誅求の税制だということにならざるを得ない。
私はそういうふうな意味において、再度、森下政務次官のほうからしっかりした答弁を承っておきたい。
○広沢委員 森下政務次官のせっかくのお答えですけれども、自信を持って通すとおっしゃいますが、それならば四十八年四月四日に国会に提出された周辺整備法は、七十一国会では継続になり、そしていま本国会、七十二国会で審議されておりますね。自信を持って政府が提出された法案については必ず通すのだといまおっしゃることは、この法条の性格から考えてみても、いままでの過程から考えてみましてもおかしい。
では、いままで各委員からいろいろなお話があったわけでありますが、率直に申しまして、ここに通産政務次官いらっしゃいますが、森下政務次官どうでしょうか、この六二・八九%の値上げ申請というものを圧縮することはできましょうな。これをひとつ聞いておきたい。
○国務大臣(中曽根康弘君) 砂漠のお話が出ましたが、この間、連休に森下政務次官をアブダビへやりまして、アブダビのこの間オタイバ石油大臣が来ましたときに私と会談をして、GGベースでいろいろスキームをやろうということで、その調査のためにすぐ政務次官以下局長をつけてやったわけでありますが、そのときにザイド首長が森下政務次官に言いましたことはきわめて印象的でありまして、われわれは工場もほしい、自動車もほしいけれども
○加藤(清政)委員 公害産業の輸出につながるのではなかろうかという森下政務次官からのお話がありまして、そういう点もあわせて今後慎重に検討していくというお話でありましたので、その点はひとつ今後の大きな問題として御考慮願いたいと思います。 次に、石油価格問題、備蓄問題、開発技術問題でありますが、石油の問題に関連してぜひここでお尋ねしたい問題の一つは石油製品の価格であります。
○中曽根国務大臣 森下政務次官や中小企業庁長官がお答えいたしましたことは、私の責任においても極力実行いたすようにいたします。
森下政務次官、これは私が推量で言っておるのではなくて、現地で住民から追及されて、一昨日管理官はこの事実を認めている。明らかにこれは汚職事件なんだ。これに対してどのような態度で臨みますか。
○中村(重)委員 森下政務次官、どうですか。あなたの感触としては、この隠蔽工作というものは神出元所長の独断でやったというように考えますか、あるいは本社の指示において行なわれたというようにお感じになりますか。
○和田(耕)委員 きょうは森下政務次官と竹内政務次官を中心にして、少し気楽にひとつ答えていただきたいと思うのですけれども、予算委員会の物価集中審議というのが一応終わりました。そして大商社、大企業の間違った行動について、相当明らかにされたわけでございますけれども、何だかこれでもって狂乱物価の問題点というものが終わったような感じを受けてもらっちゃ困ると私は思っているわけなんです。
森下政務次官にお伺いします。
まず、森下政務次官にお伺いをいたしますが、プロパンガスにつきましては標準価格千三百円というふうにきめられたわけでございますけれども、これはいわゆる十キロ入りボンベ、そしてその中にはボンベの賃貸料あるいは計量器の賃貸料あるいはまた配達料が込みになっておる、こういうような通達が出されておるわけでございます。
○国務大臣(中曽根康弘君) 農林省とは予算が通る前、予算委員会をやっている最中に、私が政務次官及び事務次官に命じまして、倉石農林大臣とも話をして、そして私のほうの森下政務次官と農林省の渡辺政務次官と会って、私のほうの石油部長も出て、農林省のほうはまた数字を出しまして、それで第一回会合をやって調整したという事実がある。それは予算委員会をやっている最中であります。